06 中枢性疲労発生に関する諸説

中枢性疲労発生に関する諸説

TGF-βが中枢性疲労に関与しているという説は広く認められているわけではなく、いくつかの仮説の一つという扱いだろう。疲労の原因やその現れ方が一様ではないことから、幾種類かの機構が作用していると推察される。TGF-βが関わる中枢性疲労発生機構以外にどのようなものが提唱されているか簡単に紹介する。

セロトニン仮説

中枢性疲労発生機構としておそらく最も有名なのはNewsholmeらによって発表されたセロトニン仮説であろう。運動を長く継続するとエネルギー源として脂肪酸を多く利用するようになる。脂肪酸は血中では血清アルブミンに会合して運搬される。脂肪組織からは脂肪酸が供給され、これがより多くアルブミンに会合することで脂肪酸以外の物質はアルブミンから押しのけられ、血中にフリー(非会合状態)で存在するようになる。アルブミンには多くの疎水性の高い物質が会合して運搬されているが、その中にトリプトファンが含まれる。運動の結果としてアルブミンに結合していないトリプトファンの量が増大する。神経伝達物質としても機能するセロトニンはトリプトファンから生合成される。脳内でのセロトニン合成は基質であるトリプトファン供給過程が律速段階となっている。血中でフリーのトリプトファンが増大することにより、その脳内への供給量が増大することとなる。また長時間の運動では脂肪酸に加えて、タンパク質を分解して分枝鎖アミノ酸もエネルギー源として利用され、血中での濃度が低下するようになる。脳内へのアミノ酸供給にはいくつかのトランスポーターが関与しているが、トリプトファンと分枝鎖アミノ酸は同一のトランスポーターによって運び込まれる。同じトランスポーターを取り合う関係にあるわけだが、拮抗する分枝鎖アミノ酸濃度が低下することも脳内へのトリプトファン供給増大に寄与することとなる。結果として脳内へのトリプトファン供給が増大し、脳内セロトニン濃度が増加することが中枢性疲労の発生につながるとするのが彼らの説である。この説は生化学的に生合成の取れた理論であり、広く認められている。彼らは運動させたラットの脳内各部位でセロトニン濃度が増大することを報告している。また実際に運動開始前に分枝鎖アミノ酸を多く摂取することが疲労感発生を遅らせる効果も報告されている。

この説に対する疑問は、まず運動していないのに感じる疲労の発生機構を説明できないことである。血中での脂肪酸濃度増大や分枝鎖アミノ酸濃度の低下が起きるような状況は長時間の運動を行わなければ起こらない。そのような運動を行わなくとも疲労感が生じるのを我々は日常的に経験している。この説の有効な状況はかなり限定的と考えざるを得ない。またセロトニンの増大が疲労感につながるかどうかにも疑問がある。鬱病の患者は強い疲労感を訴えることが多い。鬱の治療薬として選択的セロトニン再取り込み阻害剤(selective serotonin reuptake inhibitor; SSRI)が用いられるが、この薬はセロトニンの代謝を遅らせてその濃度を高めるように働く。鬱の治癒と疲労感の減少は平行するだろうから必ずしもセロトニン濃度の増大が疲労感の減少につながっているかどうかは結論できない。しかし中枢性疲労発生に関するセロトニン仮説とは逆の方向ではある。さらにSSRIを投与して運動させた場合の疲労感の発生や限界までの運動時間の延長については効果があったとする報告ととなかった報告が混在している状況である。そして根本的な疑問として、なぜセロトニンが増えると疲労感が生じるのか、についての情報がない。セロトニン作動性神経は脳全体に広く分布して様々な役割を果たしているが脳全体でのセロトニン濃度増大が疲労感の生成に関わるのか、それとも特定の脳部位が主要な役割を果たしているのか、その場合には他の部位でのセロトニン濃度増大はどのような意義があるのか、などについては何もわかっていない。もし疲労中枢のような部位があるなら、そこにセロトニンを微量投与することで疲労感が生じたり疲労様の行動が生ずる現象を観察できるはずである。しかしながら今のところそのような脳部位があるかどうかについてさえ何もわかっていない。

アンモニア説

アンモニアはアミノ酸や核酸の代謝によって生じる。アンモニアは神経に限らず全ての細胞にとって毒であることから、(水生生物ではそのまま、陸上の生物では尿酸や尿素にして)体外に排出する機構が発達している。長時間の運動、あるいは飢餓などで体タンパク質を分解してエネルギー源とするような状況ではアミノ酸が酸化されてアンモニアが生成する。大量のアンモニアが生成すると一部が脳に到達し、神経細胞に影響して疲労感が生じるとするのがアンモニア説である。しかし意識に影響するような血中アンモニア濃度上昇が起きるには、かなり強度の高い運動を長時間続ける必要がある。

セロトニンおよびアンモニア両説はいずれも運動による疲労に関しては蓋然性を認めるべきだが、現代の日本で問題となっている疲労についてこれらで説明できる例は非常に少ないだろう。

また疲労物質として認識されている乳酸に関しては、少なくとも神経や心筋は乳酸を酸化する能力が高く、良いエネルギー基質として利用される。酸として組織を低pHにさらす場合を除いて、乳酸が神経に直接作用して疲労感を引き起こすとは考えられない。ただし血中で乳酸が上昇するような状況はエネルギー源が糖質に偏っている状況、すなわち強度の高い運動が開始されたときや脂肪酸代謝の不具合が起こっていることを意味しているので、乳酸が直接作用するわけではないが、疲労を引き起こす信号の1種として機能する可能性がある。これについては投稿中なのでいずれ・・・。

サイトカイン説

サイトカインはそれを産生する細胞から分泌されて別の細胞に何らかの作用する生理活性因子と定義することができる。代表的なものとしてインターフェロンやインターロイキンがある。TGF-βもサイトカインの1種である。インターフェロンなど免疫系の応答を調節するサイトカインはガンの治療などに応用されている。多くは炎症性サイトカインに分類されているが、このようなサイトカイン投与は副作用として発熱や疲労感を引き起こす。また風邪やインフルエンザなど感染症の症状に疲労感があることから、サイトカインが疲労感の生成に関与していると考えられている。

我々はウイルス感染を模倣するpoly I:Cをラットに投与することでその脳脊髄液中の活性型TGF-β濃度が増大し、これが発熱に寄与することを示した。またpoly I:C投与はラットの自発行動を低下させたため、おそらく疲労感が生じているだろうと考えられ、これに脳脊髄液中のTGF-βが関与していることが予測された。そこでpoly I:C投与と脳脊髄液中への抗TGF-β抗体の投与を同時に行ったところ、体温の上昇は抑制されたが自発行動の低下には全く効果が観察されなかった。

元々TGF-βは免疫抑制に働き、炎症性サイトカインとは認識されていなかったのだが、大槽内に直接投与しても体温上昇が起こった(投与した液中でのエンドトキシン量は検出限界以下)ことから、発熱を引き起こす作用があることが示された。Poly I:C投与後1時間で脳脊髄液中での活性型TGF-β濃度の有意な増大がおこり、これは他のサイトカイン、例えばIL-6やTNF-αの血中濃度増大に先行するもので、一連の炎症反応のうちでも脳脊髄液中のTGF-β濃度増大は比較的初期に位置するものと考えられた。しかしこのTGF-βの作用を抗TGF-β抗体によって中和しても自発行動の低下を阻止することができなかったため、感染時の疲労感の発生にはTGF-βは寄与しておらず、別の機構が機能していると考えられた。現在まで感染時の自発行動低下に対する責任分子は同定されていない。

 

中枢性疲労(疲労感)は身体を保護する機構の1種と解することもできるので、それが単一の機構でのみ制御されていることは危険と考えられることから、複数の機構が機能していてもおかしくないだろう。