07 TGF-βのニューロンに対する作用

TGF-βのニューロンに対する作用

TGF-βが脳内で機能し、自発行動の抑制に働いているらしいことが明らかとなった。しかし問題点として、確かにTGF-βが脳(さらにはニューロン)に対して作用しているかどうかがわからなかった。TGF-βはその名前の由来の通り、細胞の増殖を調節している因子として広く認められており、遺伝子発現の調節がその主要な機能であると考えられていた。そのような因子が、動物の行動の調節に働いているとは想定されていなかったのである。少なくとも神経に作用し、その活動を変調するような効果が観察されなければTGF-βが動物の行動に影響するとは示唆することができない。

神経伝達物質の代謝回転変化

そこで、一般的に良く用いられる手法として、脳脊髄液中にTGF-βを投与した後に脳の各部位での神経伝達物質の代謝回転を測定する実験を行った。この実験では所定の時点での神経伝達物質とその代謝物の濃度を決定するため、脳内の代謝酵素をできるだけ短時間で失活させることが必要だが、この実験を行った当時には手技的に若干問題があったため、確定的なデータが得られなかった。それでもおおまかに分割した脳の部位(脳幹など)でセロトニンやノルアドレナリンの代謝回転が変化している可能性が示された。

脳波に及ぼす影響

次に、脳の活動変化を脳波の変化で検討した。脳波は脳全体の電気的活動を脳表面の電位変化として表現したもので、何が起こっているかは不明でも、脳で何らかの活動の変化が起こっていることは検出できる。脳波はいくつかの周波数帯をもつ波の合成されたものと見なし、周波数帯毎にその成分を抽出することで、ある生理/精神状態で特定の波の成分の割合が減少・増大することが知られている。リラックスした状態でα波成分が増大することは良く知られている。

ラットの脳表面(海馬の上辺り)に電極を設置し、ポジティブコントロールとして遊泳運動を負荷した後の脳波の変化と、大槽にTGF-βを投与した後の脳波の変化を測定した。運動によって脳波の状態は大きく変動したが、特にθ波成分の有意な増大とα波成分の有意な減少が観察された。これに対して大槽へのTGF-β投与は運動ほど顕著な変化ではなかったが、投与直後の5分から10分で運動後と同様のθ波成分の増大、およびα波成分の減少を引き起こした。α波は閉眼安静時に、θ波は入眠時、あるいは傾眠(意識障害の程度の一。周囲からの刺激があれば覚醒するがすぐ意識が混濁する状態)時に観察されるとされており、運動後の疲労した状態を思わせるような脳波変化が、その程度は小さいながらもTGF-βの脳内投与により引き起こされることがわかった。

ニューロン活動変調 (マイクロダイアリシスによる測定)

神経活動の変化を、覚醒下の動物の脳内で直接測定する方法として、in vivo microdialysisがある。初めに述べたように神経の興奮は神経末端から放出される神経伝達物質がシナプス間隙を移動して次の神経に到達することによって伝達される。シナプス間隙からは神経伝達物質がわずかに細胞外液中に漏れだすことから、この伝達物質濃度の変化を測定することで神経活動の変化を測定することができる。マイクロダイアリシスは微小なプローブの先端に透析膜が組み込まれており、細胞外液中の伝達物質を灌流液中に取り込み、その濃度をHPLCによって測定する。この方法は覚醒・自由行動下の動物で行うため、様々な刺激に応じて脳の特定部位での神経活動の変化を直接的に調べることができる。TGF-βにより自発行動の抑制に関わる部位はまだ明らかにされていない。そこで前項で予備実験的に検討した各脳部位での神経伝達物質の代謝回転変化も参考とし、大槽にTGF-βを投与したときの視床下部と海馬におけるいくつかの神経伝達物質の細胞外液中濃度の変化を測定した。現在までに確定した結果では、視床下部腹内側核と室傍核においてノルアドレナリンの細胞外液中濃度が増大することが明らかとなっている。すなわち、脳内に投与されたTGF-βは少なくとも視床下部に投射するノルアドレナリン作動性神経系に作用し、その活動を変調することが示された。

受容体の発現部位

TGF-βの受容体は既にクローニングされ、キナーゼ活性を持って細胞内への信号伝達に直接寄与すると考えられるものはタイプ1とタイプ2の2種類であることが示されている。TGF-βと最初に直接結合するのはタイプ2であり、これによってキナーゼ活性が上昇することによってタイプ1受容体をリン酸化する。タイプ1受容体はこのリン酸化によってキナーゼ活性が上昇し、さらに受容体以降の基質であるsmad等をリン酸化して信号が伝達されていくことが明らかにされている。このメカニズムからわかるように、タイプ1とタイプ2受容体は同一の細胞で発現していなければTGF-βの信号を伝達することはできない。ただし構造的に似通ったファミリーに属する受容体がクロストークすることで信号伝達することも考えられ、様々な受容体が共発現するin vivoでの作用基機構はかなり複雑になる可能性がある。またこのようなリン酸化カスケードが我々の明らかとした疲労様行動の発現に関係しているかどうか現在のところ不明である。

脳内でのTGF-β受容体の発現は広汎に見られ、特定の脳機能と結びついているかどうかは判断しがたい。我々もmRNAおよび特異的な抗TGF-β受容体抗体を用いて視床下部室傍核におけるタイプ1およびタイプ2受容体の共発現を観察した(未発表データ)。しかしこの部位が疲労様行動の発生に関与しているかどうかを判断できる材料はまだない。上述したリン酸化カスケードがニューロンの活動を変調する機構と関係する可能性は否定できないが、その証明にはさらに詳細な研究が必要である。